Peace Messenger
高校生平和大使
1998年から現在まで、国連欧州本部の訪問をはじめとする世界各地で、核兵器廃絶と平和な世界の実現を訴え、
国内外に向け発信を行っています。
年に一度、全国より公募選出されます。
高校生平和大使の始まり
1990年代後半、世界で核実験が相次いで行われた。
このことに危機感を募らせた長崎の市民は被爆国
日本から高校生を国連へと派遣し、直接核兵器の廃絶
を訴えることに。そして1998年10月、長崎の高校生
2人が米国・ニューヨークの国連本部へと派遣され、
高校生平和大使が始まった。
軍縮会議でのスピーチ
2014年、高校生平和大使が民間人としては
初めての軍縮会議の場でスピーチを行った。
これは、これまで毎年国連を訪問し、
核兵器廃絶を訴えたこと、日本の外務省から
ユース非核特使に任命されたことで実現した。
2015、16年にも同様にスピーチを行った。
ピース・メッセンジャー
2000年第3代からは軍縮会議が開かれる
スイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問しています。
高校生平和大使は国連では「ヒロシマ・ナガサキ・ピース・メッセンジャー」として認知され、その真剣な言動は国連で高い評価を得て大きな成果をあげています。
これまでに高校生平和大使として活動した高校生は
250人を超え、活動の幅は年々広がっている。
ローマ教皇謁見
2019年にローマ教皇が被爆地である広島・長崎を訪れるのを前に、当時高校生平和大使だった
2人がバチカンを訪れ、ローマ教皇に謁見しました。
ローマ教皇からは世界平和のための活動を続けてください。被爆の惨状を忘れないで
と、言葉を頂いた。
HISTORY
Peace Messenger
Since 1998
はじまりは長崎から…
1998年
インド・パキスタンが相次いで核実験
第1代
高校生平和大使の誕生!
長崎の高校生2人が核兵器廃絶を求める6380人分の署名をニューヨークの国連本部へ持参。
高校生の平和活動がスタート!
1999年
広島からも大使を選出
2000年
訪問先を軍縮会議が行われる国連欧州本部(スイス・ジュネーブ)に
2001年
核兵器廃絶を求める署名を集める
「高校生1万人署名活動」が誕生
米同時多発テロ発生 米軍がアフガニスタンで空爆を開始
2002年
「高校生1万本えんぴつ運動」誕生
学用品が不足するアジアの子どもたちに送る、学用品の寄付を募る。
2003年
2004年
2005年
日本の”加害の面”を学ぶ、韓国訪問を開始
高校生平和大使、全国公募開始
神奈川・イギリスから選出
2006年
北朝鮮で初めての核実験
第10代
東京から選出開始
海外枠を設置し、
ブラジル・ペルー・韓国から高校生を選出
鹿児島から選出開始
2007年
2008年
福岡から選出開始
2009年
熊本から選出開始
2010年
2011年
東日本大震災、東京電力福島第一原発事故
被災地の
岩手・大分から選出
2012年
外務省から外務大臣感謝状を授与
福島・静岡・佐賀から選出開始
国連に提出した署名が累計100万筆到達
外務省「ユース非核特使」第1号に選出
2013年
北海道から選出開始
2014年
ジュネーブ軍縮会議で初めて演説(以降3年連続)
奈良から選出開始
安全保障関連法成立
2015年
新潟から選出開始
2016年
オバマ大統領(当時)がアメリカの大統領として初めて広島訪問
大阪から選出開始
2017年
第20代
核兵器禁止条約採択
国際NGO 「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」がノーベル平和賞受賞
初めてノーベル平和賞候補に
2018年
2018年
2019年
国連に提出した署名が200万筆達成
2020年
新型コロナウイルス流行により、
平和大使派遣先を国内に変更
デジタル署名・SNSの積極的利用を開始
2021年
核兵器禁止条約発効
愛知・宮崎・沖縄から選出
核兵器禁止条約の意義を訴える「ピースブックリレー」を公開
ロシアがウクライナ侵攻
核兵器禁止条約締約国会議開催
核拡散防止条約(NPT)再検討会議開催
2022年
全国の高校生平和大使で協力し、平和アクション動画「青い空は」を公開